愛という言葉はつくづく、美しい言葉だと思いますよね。
人の幸せを体現してくれる、人を幸せにしてくれる言葉です。
えっ、皮肉っぽい言い方だって(?)
いや、復縁アドバイザーやまとのことをよく分かっていますね(笑)
そうなんですね。
愛という言葉って、立派で素晴らしい言葉なんですけれど、
便利に使われる時代にもなってしまいましたよね。
愛の言葉がありふれた現代
愛という言葉はあまりにもありふれていますよね。
歌の歌詞には安易に愛が歌われていますし、
愛を理由にしたさまざまな商品が販売されていたりします。
別にソレ自体にどうこう言うつもりはないのですが、
重要なのは、愛、愛、と言われているもののなかに、
果たして本当の愛というものはどれだけ含まれているでしょうか?
ということがとても気になってしまいます。
- 「君を愛しているから、君には素敵な女性になって欲しいんだ」
- 「あなたを愛しているんだから、私も愛してほしい」
- 「あなたのためを思って言ってあげているんだよ」
- 「私があなたを愛しているということを分かってほしい」
我々は愛を理由にして、たくさんの要求を交際相手にしていますよね。
このように相手に要求することは、本当に愛なのでしょうか?
単に、自分の要求を通すために、愛を言い訳に使っているだけでは?
交際相手に愛を与える代わりに、見返りを求めてしまっていませんか?
「見返りなんて求めていません! 真実の愛です!」
そうおっしゃる方も多いと思います。
しかし、愛という言葉をことさら使ってしまうときこそ、
自分を疑ってかかるべきです。
愛を振りかざして、相手に何かを訴えかけるとき、
それは例外なく「打算的な愛」だと言えます。
しかし、そのこと自体は悪いわけではないと思います。
愛と言われるもののほとんどは、打算的なものなのです。
駆け引きや、ギブ&テイクの材料に、愛を使ってしまっているのです。
結局、自分の要求を通したいだけ。
自分の思うようにコントロールしたいだけ。
自分の思うように物事が進むこと。
それこそが「愛」というわけです。
こういった愛は、ほとんど幻想ですよね。
本当の愛の見分け方
では、本当の愛とは何でしょうか。
本当の愛というものを見分ける基本は、まず、
ただ、想っている、ということに尽きます。
「愛しているから◯◯して」
「愛しているんだから分かってほしい」
このようなギブ&テイクの要求はしません(笑)
ただ、自分の中に持っているだけなのです。
それをことさら主張するものでもないし、
それをことさら、隠すわけでもありません。
ただ、心の中に持っているのです。
結婚式で神父さんがおっしゃいますよね。
「健康な時も、病の時も、富める時も貧しい時も、
良い時も悪い時も助け合い、変わることなく愛することを誓いますか」
この精神が、愛のすべてです。
愛を誰かに向けようとするものではないのです。
愛を彼氏に、彼女に投げかけるものではないのです。
愛はただ、自分の中に、どんな時でも持ち続けるものです。
見せびらかしたり、自慢するようなものでもありません。
心の中に持ち続けて、大好きな人をそっと照らすようなものです。
ついつい愛の言葉を使って、色々なワガママを言ってしまいたくなるのですが、
どうか本当の愛の気持ちを忘れず、そっと持ち続けてみませんか。