復縁に限らず、恋愛においてギブ&テイクのような、いわば駆け引きの関係では成立しないものなのでしょうか?
ギブ&ギブのように、相手に与え続けることが真実の愛なのでしょうか?
では、見返りを求めてしまう私の態度は間違っているのでしょうか?
こういったお悩みの相談メールを頂戴しました。
ありがとうございます。
なかなか核心を突かれた、よいメールをありがとうございます。
今回は恋愛はギブ&テイクなのか、ギブ&ギブであるべきなのか、をテーマに進めていきましょう!
ギブ&テイクって何? 恋愛問題に入る前に
まず、本題に入る前に、「ギブ&テイク」とはなんぞや? ということですね。サラリーマンの方であればよくご存知かと思いますが、「ギブ&テイク」というのはビジネス用語ですね。
その意味は「あなたが何かを相手に提供する見返りに、相手からも何かをもらう」ということです。「私があなたのためにAをしてあげるから、その代わりにあなたも私のためにBをしてくれよ」という約束をすることですね。
この言葉があまりにビジネスライクな雰囲気を与えますので、最近ではもっと好意的な解釈をする人も増えてきましたね。たとえば、
「まずあなたが何かを相手に与えると、相手も何かを与えてくれますよ」と、こういう使い方をするようになってきました。
こういう言い方をするとわかりやすいですが、確かに、この意味では恋愛関係はギブ&テイクかもしれませんね。
- 「あなたが愛を与えるから、相手も愛を与えてくれる」
- 「あなたが愛を与えなければ、相手も愛を与えてくれない」
と、こういうことです。
こう言うと、こういった意見をおっしゃる方が出ていらっしゃいます。
「愛とは無償のものですから、見返りを求めるものは愛ではありません」と。
これは確かに、的を射ています。
昔の有名なドイツの哲学者のイマヌエル・カントは、このギブという善行は「見返りを求めてするものじゃない、見返りを求めずにやるから善行だ」とこう言っているんですね。
「与えてもらえるから、与える」と考えて頑張るのは不自然、不純だと、そうカントは言っているのです。
確かにそうかもしれませんし、私もそう考えていました。
無償の愛を送るべき、誰彼にも親切にして、とくに愛する人には、際限なく愛を与えて、愛を送り続けようと。
果たして、そんなことは可能なのでしょうか?
「ギブ&ギブ」から感じられる偽善の雰囲気
最近では、ビジネス用語として、新しく出た言葉がありますよね。
「ギブ&ギブ」という言葉です。
ようは、見返りを求めずに、とにかく与え続けよう、という試みです。
ギブ&ギブした結果、得るものがある、ということです。
いや、しかし、これって嘘くさくないですか(笑)
ギブ&ギブ、とか言いながら、やっぱり結局は最後には与えてもらいたがっているじゃないですか。
揚げ足をとるみたいで嫌ですけど、このギブ&ギブはやっぱり偽善だと思います。
私自身「ギブ&ギブ」に挑戦してきました
そして同様に、私自身も、誰彼なく愛を送り続けようとしてきました。
昔から聖人君子になりたいという野望がありまして、こういった試みにチャレンジしてきたわけです^^;
(まあこのブログも一応、善行のつもりで頑張っているわけですが。。。)
しかし、無尽蔵にギブし続ける行為は、自分の心をとても疲弊させます^^;
実は結局、長続きしていません。。。
ギブをし続けるには、相手が裏切ろうがどうしようが、常に与え続けるというニュアンスがありますから、実際にトラブルが起こったときなど、心を整理できずに対処できないことがありました。
こんなひどい目に合わされても、まだギブし続けるのか? と思ったことが何度もあり、挫折をし、またギブを続けようとやってきたのです。
私は結構バカなので、思い込んだら必死でやるところがあり、ギブについても徹底的にやり続けたわけです。
しかし、メンタル的なダメージが大きくて、何度も何度も挫折しました・・・。
もちろん、どんどん見返りをもらうこともできましたが、全然、見返りをくれない人はいつまでたっても、ギブし続けるだけ。
どうしてなんだろう? と本気で悩み続けました。
そしてある時、ギブ&ギブの過ちに気付いたのです。
ギブ&ギブがもたらす弱点
なぜギブ&ギブではダメなのか。
世の中では良いこととされているギブ&ギブの問題点を指摘する人は私だけではないでしょうか?(笑)
しかし、私はギブ&ギブについて真剣に考えましたから、問題点は完全に理解しましたので説明をさせていただきます。
例えば、復縁するために、元カノ(元彼)に対して、ギブ行為をし続けたとします。
しかし、まずこれでは復縁できません。
これは復縁のアドバイスの経験上からも言えることです。
もちろん、復縁しやすいような状況であったら別です。ですが、仲が険悪になって別れたような、一般的な別れのパターンから復縁を望むような場合では、ギブ行為の連続では復縁はとてもじゃないですが難しいです。
それは一体、なぜなのか。
それにはものすごく重要な理由があります。
要は、ギブ&ギブ、というのは「押しつけ」なのです。
結局、「“我”の押しつけ」になり、相手をコントロールしてしまうわけです。
ギブ&ギブは、気持ちの押しつけになってしまう
復縁において重要なのは(また、これは結局復縁に限らず、人生すべてにおいて同じことだと思うのですが)、相手が、どう思うか、どう行動するか、なのです。
あなたが「好きだ」「好きだ」「愛している」「復縁してくれ」と言ったとします。
「どうしても復縁して欲しい」と伝えますよね。
そして仮に、相手が「あなたのことは好きではないけど、復縁しても良い」と言ったらどうしますか?
あなたは、初めは復縁を喜ぶかもしれません。
しかし、相手はあなたのことを愛していないのです。
あなたが何をやっても、相手は無口のまま、笑いもしない、何もしない。全くリアクションがない。
まるで人形のような態度で接してきます。
あなたはきっと、すぐにその生活が嫌になるはずです。
よく暴力などに訴えかけて、別れさせないなどの強硬手段をとる人がいますが、ああいった人が陥っている過ちというのは、「愛とは、私自身が、相手をコントロールすること」と考えてしまうことです。
つまり、何が何でも復縁したい、相手がどう思っていようと相手を自分のものにしておきたい、と考える人は、とにかく、幸せじゃなくてもいいから相手を縛っておきたい、という考えがあるのです。それが愛だと思っているのです。
ギブ&ギブで得られるのは、こういった思いの一方的な押しつけなのです。
ギブ&ギブは、相手を自立心のないダメ人間にしてしまう
ギブ&ギブを行う場合、あなたは「ギブをすれば、相手は次第に心変わりするだろう、テイクしてくれるだろう」と考えるわけです。
しかし、実はこれは違うのです。
実はギブする側において最も重要なのは、ギブ側が、いかに相手がテイクしたくなるように仕向けるか、ということなのです。
こう書くと下心が丸出しなようでいやらしいですが、これはいやらしいことではなく、純粋なことなのです。
例えば、人と人が生活する上では、ギブ&テイクなしには成立しませんよね?
あなたがりんごを売りました、しかし、相手はお金を払ってくれません。
これでは社会は成り立ちません。
あなたがギブしたら、相手がテイクすることは当然ですし、相手がギブしてくれたら、あなたはテイクしなければなりません。
それができないのであれば、ノーディール(取引不成立)として、やり取りをしないことです。
ですが、ギブ&ギブをしていたらどうなりますか?
相手はテイクをすることを、忘れてしまうかもしれません。あなたの優しさにかまけてしまって、恩返しを怠けてしまうわけです。
これって、あなたがテイクできないというだけの問題ではなくなってしまうのです。
相手がテイクをしなくなってしまうというのは、これはその相手を“ダメな人間にしている”と言えるのです。
つまり、あなたがギブ&ギブし続けたときに、相手がちゃんとテイクをしてくれば良いのですが、それをしてこない人間が出てしまった場合、あなたが相手をダメな人間にしてしまったことになるのです。
この意味がお分かりでしょうか。
ですから、なぜ私がテイクを重要視するのか。
それは、テイクという行動が、その相手が「立派に自立している証拠」だからです。
相手に「テイク」を教えること、それがギブする側の責任
恋愛は、大人と子供では成立しませんよね。
ですが、ギブ&ギブでは、あなたが大人で、相手が受け取るだけの子供になってしまいます。
これでは絶対に恋愛がダメになってしまいます。
ギブされたなら、きちんとテイクする人間であるからこそ、自立しており、大人であり、ちゃんとした人間であり、それこそが、“人”なのです。
ギブ&ギブでは、甘やかしすぎてしまい、ちゃんと人にテイクできる人間ではなくなってしまうのです。
ですから、ギブする側の責任として、どういったことをテイクすべきなのか、どうテイクしてほしいのか、きちんと相手に教えて、テイクすることが大人であること、自立した人間であることを伝えなければならないのです。
これを復縁に置き換えますと、結局、あなたひとりが、愛している、復縁してくれ、どうしても復縁したいと必死に訴えたところで、「相手がテイクする気を起こさない」ようでは意味が全くないということなのです。
あなただけでなく相手も成長することが大事
もちろん、ギブすることが何よりも大事です。
相手に、愛を訴えかけたり、さまざまにアプローチをしたり、手を差し伸べたり、ありとあらゆることをしていくべきです。
しかし、それに加えて大事なのは、相手がリアクションを起こしやすい環境をつくってあげること、相手が再びあなたを受け入れることができるよう、お膳立てをしてあげることなのです。
つまり、相手がテイクしたくなるように、テイクしても良いのだ、テイクできる人間だと、「自立」させてあげることがとても大事なのです。
復縁においては一般的には、あなたがどう相手のために頑張るか、が中心に説明される場合が多いですが、私の場合は、あなたの頑張りに加えて、元彼(元カノ)にもあなたを受け入れられるよう成長してもらいます。
それには、あなたを変えることで、そのあなたに接する相手も自然と成長してもらうという方法をとります。
このためには、実は復縁の主導権は、あなたが握らなければならないのです。
フラれてしまった当初は、当然ながら、あなたには主導権はありませんよね。
「さようなら」と言われてしまい、会う機会さえもらえない。
ですが、その奪われてしまった主導権を取り戻していき、あなた主導で、まずは相手を喜ばせる。そして相手が心を開いたら、復縁するための具体的なアプローチを進めて、相手があなたを支えたいと思えるように、誘導する必要があるのです(=テイク)。
これができれば、復縁は可能です。
このように書くと非常に難しいことのように感じるかもしれませんが、これはごく簡単ないくつかのテクニックでできるようになります。
その方法については、無料メール講座でお教えしていますので、よければご参加下さい。
恋愛というと、どうしても無償の愛、際限のない愛が必要なのかと思ってしまいがちです。
しかし、無償の愛、際限のない愛というものは、結局は「愛のムチ」も含めてのことかもしれません。
私は復縁の努力のために、あえて突き放したり、自分で考えてもらったり、必要以上にアドバイスを送らないように工夫したりしています。
ただ単に甘やかし続けるだけ(=ギブし続けるだけ)では、成長しないことを知っているからです。
ちゃんと自立して行動できるようになれば、復縁に限らず、人生全般がうまくいくようになると信じています。
ぜひ私と一緒に、復縁に取り掛かっていきましょう!!
おまけ
そういえば、最近ではさらに、ギブ&テイクのこの「テイク」という表現が「奪い取る」という雰囲気の表現だからと「ギブ&ギブン(与えられる)」などと言ったりします。
これもなにか偽善的な感じがしますよね^^;
直接的に「欲しい」というよりも、遠回しに「与えられる(はず)」と考えることって、とてもずるいことのように思います。何か、こういう口当たりの綺麗な表現には、どうも薄気味悪く感じてしまいます。
また、私がよく思うのは「ギブ」しているというのは、ほとんど思い込みじゃないかな、ということです。
たとえば両親は、私たちを産んでくれていますよね。
産んでくれたというギブに対する見返りというのは、果たしてどれだけ返せるものでしょうか?
成人するまで育ててくれたというギブを、一体どのようにしてお返しできるのでしょうか。
私は、厳密には人生というものは、ギブ&テイクでも、ギブ&ギブでもないと思います。
ひたすら与えられるだけのテイク&テイク&テイクという、そんな感じがいたします。
復縁というものを成し遂げるのも、このテイクに対する有り難みをどれだけ感じられるだろうか、というところにあるような気がします。
私たちはつい、このテイクに対して「当たり前のもの」と感じてしまいがちです。
- 親は育てて当たり前
- 料理は作ってもらって当たり前
- 交際相手は自分を愛してくれて当たり前
- 交際相手が自分を大切にするのは当たり前
いつからかそんな風に感じてしまっていることがあります。
少し格好つけてしまった感がありますが^^;
でも大事なことだと思いますよ^^