愛、それは実に素晴らしい言葉です。
人間生活、大きく言えば地球を支える根幹のようなもの。
世界中が愛し合えば、この世から争いごとはなくなるかもしれません。
しかし、その愛という言葉を飾りのように使ってはいませんか。
愛ときけば、無条件で良いものだと捉えがちですが、本当にそうでしょうか。
世界が愛で満ちていない理由
歌の歌詞でもありますよね。
愛している。愛こそがすべて。
そう歌っています。
しかし、盲目的なまでに愛を歌いながらも、人々は別れ、そしてまたつながります。
無償の愛、不変の愛を人々は望みますが、うまくいかないことも多いものです。
一体、どうしてなのでしょう。
愛という言葉がことさら強調されるいま、
愛で世界を平和にしようなどと語られていますが、
一向に平和にはなっていません。
戦争、テロ、不況、さまざまな不安が付きまとっています。
なぜなのでしょうか。
愛という方便
愛という言葉が軽々しく語られることに、違和感と危機感があります。
恋愛でも、愛していることがとても大事だと語られます。
しかし、多くの場合、それは本当の愛ではありません。
たとえば、愛し合っている人に裏切られたら、
その愛の気持ちは憎しみに変わりますよね。
大事な友人があなたを裏切ったら、それもまた憎しみに変わるでしょう。
「愛しているからこそ憎む」
そう思われるかもしれませんが、
しかしそれは“無償の愛”ではないですよね。“見返りを求める愛”です。
こんな風に、簡単に心変わりしてしまう気持ちが
愛だと本当に言えますでしょうか。
愛でもない感情を、簡単に愛だと誤解して結べてしまうこの時代は、
危険だと思います。
所有欲を愛だと勘違いしている
では簡単に憎しみに変わってしまうこの感情は、愛ではなくて何なのでしょうか。
それは所有欲です。
恋人や友人が、自分のもの、自分の手の中にあるうちは“愛”している。
だけども手から外にこぼれ出ると、
それは所有欲、独占欲へと変わってしまう。それが事実です。
自分のものにしたい、手に入れたいという欲を、
愛と言い換えているに過ぎません。
下心を、都合よく舌触りのよい言葉でコーティングしているだけなのです。
愛というものはそんな都合の良いものでしょうか?
無償の愛を目指そうとせず、ただ心に留めておいて
ただ“無償の愛”を目指すと、とても難しいですよね。
「自分のこの気持ちは、無償の愛なのだろうか?」
こんなことを考えだしてしまっては、復縁なんてとてもできません(笑)
ですからただ、今は自分を信じて取り組むことが大事です。
ただ、今回のこの私の文章を読んで、
自分の中に何か引っかかるものがあれば、
その気持ちを大事にしておいてください。
復縁できた時に、仮に大事なことを見失いそうになったときに、
ふいに今回のお話を思い出してもらえたらと思います。